
どーも!
正道(@sunobobaka204)です!
皆さん!
葬式行ったことありますかーーー!?
はい!とても暗い感じで始まりました。
今回は!
なぜ僕達は死人にお金をかけ、葬式を行い、祈るのか?僕が気づいた答えを紹介します!
なぜ死人にお金をかけるのだろう

こういうと、僕がすごく失礼なやつに聞こえるかもしれません。
なんとなくは分かるんです。
死んだ人のために、葬式をして、お墓を作ってあげるんですよね?
でも、なんで?
死んだ人にお金かけてどうするの?
祈ってどうなるの?
なんか色々勿体なくない!?
さすがに言い過ぎた気がしますが、僕は心の奥でこう感じていました。
「死ぬ前に○○しとけば・・・」
という後悔は出るものの、
「死んでしまったものはしょうがない。悲しいけど、お別れ。」
という風に考えていました。
死ぬ前に死んでほしくないから一生懸命頑張るのは分かる。
でも、死んでしまったら、終わりじゃん?
悔しい

先日、僕の曾祖母さんが入院しました。
そして今、一週間以上、モノを食べていないようです。
「長くはないかもしれない」
とのことで、土日休みに急いで実家へ帰りました。
皮だけになった細い腕。涙も拭えないのか、乾燥した目の周り。病院で寝たきりで点滴の日々。
病院には、懸命に”生きながらえている”曾祖母さんがいました。
生きて欲しい。
そう心から思いました。
死ぬな。死ぬな。また元気になってくれ。
この前演奏した僕の下手くそな三線、上達したか聞いてくれ。
しかし、
どうしようもできないんです
僕にできることは些細なこと。こうして会いにきたり、三線弾いたり。
曾祖母さんに「生きて」と思っていても、僕には何もできない。どうしようもできない。
死
死についての授業で、映画「おくりびと」を見ました。
作中では、死んだ人の旅立ちのお手伝いをする仕事がありました。
納棺師ってやつです。
納棺師の人たちは、死んだ人の体を清め、お化粧をします。
死んだ人が、美しい状態で旅立てるように。
その映画を見て、入院中のひいお婆さんを思い出して、僕の心の奥底の思いを振り返って。
僕は何かに気づきました。
せめて・・・
死にそうな人に、苦しんでいる人に、僕は何もできない。
だから…
せめて…
死んだ後くらいは、何かしたい
そう感じました。
死んだ後に何をしても、その人には届かないのかもしれない。
でも、「何もできなかった自分ができることはこれくらいしかない。」
と感じました。
何もできなくて悔しかったからこそ、
死んだ後に祈って、葬式をして、お金を出して。。。
死んだ人のために、自分ができることをするんだろうな。
映画を見て、曾祖母さんと重ねて、自分の思いを振り返って。
また1つ、自分の心の中のモノがスッキリした気がしました。
なぜ葬式するのか、祈るのか、お金出すのか。
その1つの答えなんじゃないだろうか。
この記事が誰かのためになれば嬉しいです。
ではまた!